駅名決定時より色々と話題となっていた、山手線49年ぶり30番目の駅となる
「高輪ゲートウェイ駅」が3月14日土曜日、暫定開業しました!!
(本格的な開業は2024年です。)
「高輪ゲートウェイ駅」の駅舎をデザインしたのは、新国立競技場と同じ隅研吾氏で、
「和」テイストを随所に盛り込み、木の温もりと白を基調とした明るい駅舎になっています。
和風でありながら、ロボットやA Iなどの最先端技術も活用されて未来感もいっぱいのようです!
駅舎の駅名表示が「明朝体」ということで、なぜ明朝体??、和の一環という割には
ゲートウェイというカタカナが中途半端なんだよ等と、また炎上しているようですが、
駅を見てきて感じた事は、案外マッチしていたので、これはこれでありかなあ(´∀`*)
ところで、なぜJR東日本が「ゲートウェイ」という名称にこだわったのかは、高輪の歴史にありそうです…
かつて高輪には、「高輪大木戸」という江戸の南玄関口の簡易関所があり、
旧東海道の両側に石垣を設け、夜の間は門を閉じて通行止めにすることで、
人々の出入りを監視し江戸の治安を保っていました。(現在は石垣の一部が残っています。)
さらに、自ら歩いて日本地図を初めて作製した伊能忠敬も「高輪大木戸」を基点とし
測量を始めたそうです。
このように、高輪は江戸の玄関口として、とても重要な役割を果たしてきた場所だったのです。
いまひとつ評価の分かれている「高輪ゲートウェイ」という名称ですが、
これからは日本の玄関口として、次第に馴染んでくるといいですね。
また、東京営業所のある田町には江戸時代末期、西郷隆盛と勝海舟が会談を行った、
田町の薩摩藩蔵屋敷跡があります。
屋敷跡は現在、三菱自動車工業本社ビルとなっており碑が立てられていましたが、
再開発に伴い碑は一時撤去され保管されているようで、今は写真が掲示されています。
新政府軍は江戸城総攻撃を、152年前の慶応4年(1868年)3月15日に行うと
予定していたのですが、その前日の3月14日に江戸無血開城会談は行われました。
当時の江戸は100万人以上が暮らす大都市でしたが、その江戸を火の海にすることを寸での所で
阻止した、歴史に残る重要な出来事でした。
「高輪ゲートウェイ駅」の開業日も同じ日だったのは、敢えてなのか、単なる偶然なのか…
この辺りも踏まえて、JR東日本は選んだのかなと考えると面白いですね。
14日は新しい駅の開業のセレモニーが予定されていましたが、
今般のコロナウィルス騒動で静かなオープニングとなったようです 。
(ただ入場券を買い求める列はすごかったようですが…)
今の日本も、昔の「高輪大木戸」のように、門を閉じて通行止めにし、
人の往来を厳重に監視するくらいしてくれていたら、
コロナウィルスもここまで感染が広がらなかったのではないかなと思ってしまいます…( *`ω´)
江戸末期のような混沌とした社会情勢の中での幕開けとなりましたが、
高輪の新たな歴史をまた一つ刻むことになりました。
何はともあれ「高輪ゲートウェイ」、「高ゲー」開業しました!
祝 ╰(*´︶`*)╯♡祝
東京営業所 ヨシオカ